笠置シヅ子の結婚で旦那は吉本興業御曹司?東京ブギウギと恩師の作曲家!

ブギの女王「東京ブギウギ」で世界的にも有名な笠置シヅ子さんの結婚相手には吉本興業の御曹司が絡んでいました。

笠置シヅ子さんのあの大きな口を開けた満面の笑みから見るイメージと別の壮絶な人生があったというお話をしています。

2023年後期の朝ドラ連続テレビ小説「ブギウギ」であり、笠置シヅ子さんの人生が描かれます。

その前に気になったので、笠置シヅ子さんの旦那さんはいたのか結婚やあの笑顔の源となるパワーなど調べてみました。

目次

笠置シヅ子が結婚と出産の影に吉本興業!

まず、笠置シヅ子がどのようにして吉本興業とつながっていくのか順を追って見ていきます。

笠置シヅ子さんは小学校卒業後、宝塚音楽歌劇学校を受験しますが不合格になっています。

その理由が宝塚生活に耐えられないだろうと判断されるほどの極度に痩せた体型にありました。

もちろん歌手、舞台活動に劣ることのない踊りや歌唱力にもかかわらずです。

なので、同年「松竹楽劇部生徒養成所」を受験し合格したことで、『日本八景おどり』で娘役として初舞台をふみ、この世界に三笠静子としてスタートを切っています。

後に、昭和天皇の末弟である澄宮崇仁親王が三笠宮家の創立をきっかけに、三笠姓を避諱して笠置シズ子に改めたようです。

笠置にもいわれがあったのですね。

やっとここから笠置シズ子さんと吉本興業とに関わりが見えてきます。

笠置シヅ子の結婚と出産に吉本興業の関係は?

1947年9月10日「東京ブギウギ」の大ヒットする前のことになります。

笠置シヅ子さんは結婚はしていませんが娘さんがいらっしゃいます。

その娘さんの父親が吉本興業の御曹司である次男の吉本穎右(エイスケ)さんになります。

笠置シヅ子さん親子

笠置シヅ子さん:1914年8月25日生まれ(本名/亀井静子)

吉本穎右さん:笠置シヅ子さんより8歳年下
1947年5月に23歳という若さで病没

亀井エイ子さん:1947年6月生まれ
吉本穎右さんが亡くなった数日後に生まれます

なんという運命なのでしょうか。

たった数日違いでしたが、運命といえるべきことはこれだけではありませんでした。

先にお話ししましたように、笠置シヅ子さんが結婚せず娘のエイ子さんを出産したのには次のような理由がありました。

吉本穎右さんとは戦時中の舞台の楽屋で知り合い、姉弟の間柄から恋に落ち結婚を約束しお腹にエイ子さんを宿します
穎右さんは母親に認めてもらうために大学を中退し、吉本興業東京支社で働き始めます。

吉本興行の御曹司である吉本穎右さんの母、吉本せいさんが猛反対していました。

それでも、よくある話かもしれませんが、お腹に宿したエイ子さんをきっかけに話し合いは進んでいたそうです。

実際、エイ子さんが語っています。

母は主婦に専念するということで、晴れて正式に夫婦として認めていただける、ということになりました

ですが、吉本穎右さんは元々病弱で肺結核で亡くなっており、エイ子さんが生まれたのは数日後のことです。

・結核が悪化していた吉本穎右さんは、身重のシヅ子さんに心配をかけまいと遺書を残していたそうです。
そこには、通帳や印鑑、そして生まれてくる子供の名前があったそうです。
それが、エイ子さんなんですね。
大切な名前です...。

結婚が許されたとしても出産間際の笠置シヅ子さんと病床にいる吉本穎右さんが結婚という形で結ばれることはありませんでした。

笠置シヅ子さんは失意でどん底の中、吉本穎右さんの浴衣を握りしめながらエイ子さんを出産します。

後に、お腹の子の鼓動まで止まるのではないかと思ったと記していますが、時同じくして、離れた場所では、生涯を閉じようとする彼、新しい命を待つ彼女が存在していたんですね。

ノンフィクションであってほしいと思えるような運命、目頭が熱くなります...。

笠置シヅ子の結婚で迎えた人生の選択は?

結婚という形も家族団らんという形も取ることができなかったわけですが、笠置シヅ子さんはある決意をします。

当初、結婚に難色を示していた吉本穎右さんの母、せいさんでしたが、生まれたエイ子さんを養子に引き取りたいと申し出ます。

ですが、笠置シヅ子さんはある思いがありました。

笠置シヅ子が自身の出生の過去と重ね合わせた選択!

笠置シヅ子さんは、香川県大川郡相生村(現・東かがわ市)に生まれ、実母を知らず育ち、そのことさえも後年になり知りました。

笠置シヅ子さんも生後間もないころに実父が他界しています。

乳の出が悪かった笠置シヅ子さんの母は実家に戻り、同時期同じように出産していた近所の方から貰い乳をし育てられたそうです。

その方は、大阪の米屋に嫁ぎ実家に里帰りをしていたそうですが、このまま笠置シヅ子さんは嫁ぎ先の大阪で育てられることになります。

これが、その後の笠置シヅ子さんと歌手活動や大阪や吉本興業を結び付けたといっても過言ではないですが、ここでも自身の運命があったんですね。

後年まで知らずに過ごした期間の育ての親には感謝していても実母を知らず生きてきた自分と生まれてきたエイ子さんを重ね合わせた笠置シヅ子さんは、自分で育てる決意をし祖母でもある、せいさんからの申し出を断ります。

その後も、吉本家からの資金援助は受けなかったそうです。

なので、エイ子さんは吉本家には入っておらず、吉本家の頴右の家系は男系としては断絶しています。

この祖母に当たるせいさんも、実は早くに夫を亡くし女手一つで2男6女を育ててきた方だったんです。

夫がいない子育て、歌い手や舞台で活躍し続ける難しさも十分に知った上で、引き取りたいと提案してくれたのかもしれませんね。

笠置シヅ子はシングルマザーで子連れ出勤だった!

今では企業でも子連れ出勤を認めるところも出てきていますが、1947年当時から思いつく発想は、その当時、あらゆる方法で生活するしか他ならない女性たちの力ともなり幅広いファン層がいたそうです。

いつでも一緒に過ごせるということは親独り子一人の2人にとっては一番安心だったのでしょう。

乳飲み子を抱え舞台回りをしていたといいますが、ときにエイ子さんも舞台に出るなど、いまとは時代が違い顔を隠すことなく写真撮りなどもOKしていたそうです。

乳飲み子を抱えたシヅ子さんの姿を見て、周囲は応援します。

この時の大ヒット作が「東京ブギウギ」になります。

この歌のヒットで紅白歌合戦に4回も出場し、1956年の「ヘイ・ヘイ・ブギ」では大トリを務めるなど逆境も味方にするような活躍をしています

では、そんなウキウキする曲やその後を見ていきましょう。

笠置シヅ子が先生!と仰ぎ生まれた東京ブギウギの作曲家は?

作曲家、服部良一さんに、「先生、、新曲たのんまっせ!」と、一時は引退を覚悟したシヅ子さんが再起をかけるきっかけとなる「東京ブギウギ」になります。

服部良一さんはシヅ子さんにピッタリで、これから先も明るく楽しく歌ってほしいと作った曲だそうです。

服部良一さんと言えば、2023年の連続テレビ小説後期は笠置シヅ子さんの人生を描く「ブギウギ」と発表されました。

これまでのたくさんの壮絶な人生や笠置シヅ子さんの歌と踊り、そして笑顔満開の素敵なドラマも楽しめそうです。

お笑いのミラクルひかるさんがモノマネされているのを見たことがある方もいるかもしれませんね。

https://twitter.com/REKOTETSU32/status/1252814934829707271?s=20&t=A27tjnR3FPQQML6v6By75A

ですが、これが悲劇を生むことになります。

笠置シヅ子の愛娘へ殺害予告事件発生!

顔を隠すことなくメディアに取り上げらていたエイ子さんに対する脅迫事件が起こります。

取り上げられた雑誌には今ではプライバーとも言われる住所や電話番号まで掲載されていたからです。

母親の一番の弱みを突いてこられたので、家に閉じこもったまま怯えていた。

このように発言し、その後、エイ子さんがメディアに晒されることはなくなります。

結婚予定であった一般人が失業しお金に困ったうえの犯行で、当時の事務員が現金の受け渡しの際、逮捕されています。

笠置シヅ子が取った行動は母の鏡!

生きるためにブギの歌を人生賭けて歌った笠置シヅ子さんですが、歌手業を引退しています。

後の言葉として、今までのように楽しませる歌と踊りができなくなったと衰えを自覚してのことだったと話し、以降は女優業に専念するようになります。

自ら製作会社などに足を運び、ギャラを下げてでも使ってくださいと頼みという話があります。

子連れで仕事をしていたことも娘を育てあげるために取った行動も、母の鏡で一世を風靡した大スターの姿、胸が痛いですね。

歌手を引退しても、晩年まで持ち前の明るさで舞台やCMで活躍しています。

台所用クレンザー「カネヨン」のCMは有名でした(笑)

歌だけでなく、演技力も素晴らしい方だったんですね。

小柄な体形からこのような役柄まで生涯やり切った人生と言える歌手でもあり女優さんです。

このような活躍の中、乳がんを患ったのが1981年で手術は成功しますが、2年後に卵巣に転移してしまいます。

1984年9月からは入院生活を送りますが、闘病もむなしく70歳でこの世を去ります。

1985年3月30日、卵巣がんでした。

恩師でもあり先生の服部良一さんの伝記ドラマ『昭和ラプソディ』で自身、笠置シヅ子役を演じる研ナオコさんの姿を見て懐かしそうに最期につぶやいたそうです。

「日劇時代は楽しかったねえ」

二人並んで映る貴重な写真。

戦後の時代、この「東京ブギウギ」の歌や踊りに救われた方も多いでしょう。

その舞台が朝ドラで描かれ、音楽を担当するのが服部良一さんの孫で服部隆之さんだなんてめぐりあわせとしか思えませんね。

笑顔がいっぱいで悲しみを感じさせない笠置シヅ子さんの人生は力をいただけそうです。

シヅ子さんが自伝に残した穎右さんの面影に「眉目秀麗な青年」「ひじょうに心のやさしい、フェミニスト」とあります。

生涯、独身を貫き娘さんを育て上げられたシヅ子さん、きっと、天国では果たせなかった夫婦2人の時間を過ごし、成長したエイ子さんの話をたくさんてしていることでしょう。

笠置シヅ子の結婚に吉本興業の御曹司?まとめ

笠置シヅ子さんには娘さんがいますが、結婚はされていないことが分かりました。

吉本興業の御曹司との恋や別れ、、娘さんおきた災難など、辛く悲しい人生もあの屈託ない笑顔で私生活も舞台の仕事もこなし生き抜いた方ということが分かりました。

いかがでしたか?

調べてみて、朝ドラ「ブギウギ」で笠置シヅ子さんをもっと深く知りたいなと感じました。

ヒロイン予想もしています。

ここまでご覧いただきありがとうございました。

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この記事を書いた人

いろんな興味が湧いて止まりません。
前職は銀行員・保育や障害者介護関連の仕事に就き、コミュニケーション力のカウンセリングについて学んでいます。

動物やDIYやフラワーアレンジメントにワクワク♡

子供のアトピー経験から肌を気遣うようになり、手作りで排除できるものを試行錯誤した時期が長かったことを生かした情報や、たくさんの興味深々な情報や皆さんの悩みのお手伝い情報を綴っていくブログになります。

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