戦国時代のドラマや映画で描かれる武将たちが使用してきた火縄銃があります。
鉄砲の戦いで一番有名なのが織田信長ですが、ポルトガルから伝来した鉄砲が戦国時代のメリット・デメリット活かす最強武器となり当時の火縄銃にかけた費用はどれくらいだったのか調べてみました。
そもそも火縄銃を初めて手にしたのは織田信長では無いことが分かっています。
ですが火縄銃を大量購入している織田信長、それだけの資金があったのかや勝利への大きな賭けでもありとても気になります。
そこで、ちょっと知りたいかも!という火縄銃のメリット・デメリットがも見ながら紹介していきたいと思います。
火縄銃のメリットやデメリット検証!
火縄銃と騎馬隊との戦、至近距離の違いや威力もかなり違いそうですね。
次では、火縄銃のメリットから見ていきます。
火縄銃のメリット!
戦国時代の主力兵器は槍でした。
鉄砲でも槍でも的に向ければ当たるというわけでもありませんが、射程や貫通力、距離などという問題は簡単ではありませんね。
当然、当時の火薬の成分や使う人の技量が違っていたでしょう。
戦に合わせ鉄砲を扱えるまでになっていたかと言えば、実戦で命中できる距離で弓矢や鉄砲でさほど大きな差があったのか?
強いて大きく違うとことは貫通力は大きなメリットなのではないでしょうか。
いくら鎧を着用し弓矢の攻撃から逃れられても、鉄砲の攻撃から弾を避けることは難しく貫通してしまいます。
間近正面から見ると迫力もあり、ここまで至近距離でなくても的にされたらたまったものではありませんね。
【昨日の1コマ】
火縄銃体験を
させていただきました⭐️なかなか
こんな機会ってない‼️大好きな織田信長様の時代
戦国時代に使われた物
らしいです‼️記念に撮影してくださいました
ありがとうございます(^ー^)🙏https://t.co/WYXBtf1jVp pic.twitter.com/Q4oDRdkRDg— メンズ脱毛MAX京都店 蓮店長 女装🙍♀️LGBTQ🌈皆様大歓迎‼️ お気軽にどうぞ😊 (@MAX73787237) January 9, 2022
火縄銃のデメリット!
ご存じの通り、当時の鉄砲は弾込めに時間がかかるという弱点がありました。
筒先に火薬と弾丸を別々に入れ点火薬を別にセットしするという作業があるからです。
なので、火縄銃は後が続かないという難題がありました。
さらに、ご存じのように火縄銃は雨風に弱いというデメリットがあります。
デメリット回避の方法は?
火縄銃の弾込めに時間に対して弓矢は速射性にすぐれています。
戦国時代の合戦では鉄砲隊が弾込めをしている間に”防ぎ矢”といい弓矢で鉄砲隊を援護する方法がとられていました。
弓矢は直面からだけでなく、放射線を描くことができることから、援護だけでなく鉄砲には無い面攻めも可能だったと思われます。
火縄銃を購入したのは信長が初めて?
2016 10/23 町田時代祭り
町田の芹が谷公園にて撮影戦国時代にフランシスコザビエルが
日本にキリスト教と共に火縄銃を伝え
織田信長が西洋文化を積極的に取り入れた事で
日本で圧倒的な勢力を拡大させた事を
思い起こしていました pic.twitter.com/O24g5cih88— ひでき@天まで届け❗大吉パワー🎵🐼🎵 (@hide_glory) November 14, 2016
1543年:火縄銃の購入は種子島時尭が始まり
種子島に鉄砲が伝来した時、初めて購入したのは種子島の領主、種子島時尭(たねがしま ときたか)になります。
物珍しさで購入した鉄砲2挺で当時2千両と言われていて、この金額、今の時代にの価値でいうと2億6千万円!物珍しさで購入する金額にしては恐るべしです。
種子島の鍛治の棟梁であった八板金兵衛は美濃国関の鍛冶職人だった。
天文12年(1543年)種子島時尭より、国産の鉄砲を製造するよう命じられ、天文14年(1545年)にわずか2年で火縄銃の国産化に成功。#麒麟がくる pic.twitter.com/SEUysmOKk8— 豆大福 (@ma_daifukuan7c) February 9, 2020
1549年:日本初めて火縄銃が使用された黒川崎の戦い
1549年の黒川崎の戦い、「島津貴久」(しまづたかひさ)が「肝付兼演」(きもつきかねひろ)を攻め落とした時に日本で初めて火縄銃が使用されたと言われています。
これにより、戦いに火縄銃がどれだけ戦力になるものかが知られることにもなったのでしょう。
1552年:織田信長も配備?
桶狭間のおよそ10年前、斎藤道三との会見のとき弓と鉄砲で500丁を率いていたとの記述が信長公記にありますので、この頃はすでに天下に向け大いに強靭な味方として捉えていたのでしょう。
父、信秀の教育で信長は馬術も鉄砲も達人に指導を受けていたそうで、戦国武将の中でも鉄砲の腕前が素晴らしかったと言われています。
1555年:武田信玄も配備していた?
川中島の戦いのとき、すでに武田軍は鉄砲300挺を携えおり、鉄砲隊を戦陣に送り込んだといわれています。
徐々に、戦国時代に最新兵器として投入するのが当たり前になっていたのかもしれませんね。
信長が天下統一にかけた火縄銃の総額は18億!
織田信長が火縄銃として購入したのは、この時から32年後の1575年になります。
この火縄銃は長篠の戦いで使われ、そのころにはだいぶ安くなっていたようです。
当初に比べるとかなり違いますね。
この理由には研究や複製により国内製造の記述が発達したからと言えるようです。
実際、長篠の戦いで準備した火縄銃は3000挺ほどと言われています。
幅はありますがかなりの高額と言えるでしょう。
この頃の織田家はもともと流通の根拠地である津島(現在の愛知県津島市)を掌握しており、経済力に恵まれていたとされます。
いくら安くなったとはいえ、火縄銃だけに10億以上の資金を準備出来た織田信長にとって、安い買い物だったのでしょうか。
とはいえ、この思い切った火縄銃の購入が天下統一の大いに役立ったことは間違いないようですね。
日本史クイズ.10 戦国時代の様々な合戦を通して、それ以前と明らかに違う点は何といっても鉄砲(火縄銃)の普及。では、それまでの騎馬隊中心の戦法から新しい鉄砲隊中心の戦法へと変化していく過程で、大きな転機となった戦いは? 1川中島の戦い 2姉川の戦い 3三方ヶ原の戦い 4長篠の戦い
— カナケン (@rekishi55) May 20, 2011
切れることなく連続的に一斉射撃する方法を取ったとも言われる長篠・設楽原の戦いでは、射撃手を三段構えにして途戦法を採っていたと言われていますが、これも諸説ありこれについては違っているとも言われているようです。
とはいえ、農民兵たちは練習が出来なかった中、織田信長には直属の銃兵や大小の家臣たちが所有する銃兵など、金で雇った専門兵がいたことも火縄銃のメリットを最大限に活かせた理由かもしれません。
そんな、策略や勝利ポイントなとの紹介もしています。
どうする松本潤特番ロケ地は?家康がピンチ乗り切った策や痛切な思いは?
まとめ
武将たちが使用してきた火縄銃のメリットデメリットについて紹介させて頂きました。
火縄銃を初めて手にしたのは織田信長ではなかった
火縄銃の購入金額は15億以上だった
六本木ヒルズレジデンスなど買えてしまう大物でした。
逆に言えば、六本木ヒルズに住まわれている方がすごいってことも再認識!
このようにあまりわざわざ調べてみない豆知識のお話がお役に立てたら嬉しいです。
ここまでご覧いただきありがとうございました。
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