徳川家康と聞いて、最初に何を思い浮かべますか?
「鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス」などは有名でしょうか?
学校の歴史で学び、時代劇など大河ドラマなどでも常に登場する徳川家康公。
どんな人なのか、性格は?と調べたところ、面白いエピソードなども出てきました。
偉人の面白エピソードを知るのも楽しいですよね。
ということで、ここでは、徳川家康のちょっと楽しく意外なエピソードをご紹介させていただきます。
徳川家康エピソードが面白いって性格や特徴は?
狸親父(たぬきおやじ)などの言われよう...。
いろんなこと言われてるようじゃ~な~!!!
でっぷりとしたフォルムだったと言われたり、心の底を見せず腹の中で何を考えているか分からない方だったという説があることから、人をばかす狸とも言われたのかもしれませんね。
265年も続いた江戸幕府なのに、嫌われがちな将軍のひとりなのです。
とはいえ、次の大河ドラマでは『どうする家康』が決定されており、松本潤さんがタイトル通りのどうする???で苦難ありの時代を描く予定なので、人物像が分かってきそうですね。
「鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス」が有名ですね!
これだけ見たら、気長というかゆったりとしてそうな感じですが...。
ちょっとここで、驚きかもしれませんが「鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス」という句は本人が読んだわけではないそうです!!
これは江戸時代後期の文献にある狂歌とも...。
こうなると、辛抱強いイメージが崩れてきますが、ここからはおもしろエピソードや性格を見ていきましょう😁
エピソード① 馬上で脱糞(ウンチ)!
やはり、「鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス」とはイメージが違いますね。
笑ってはいけないけれど、ちょっとした面白エピソードです。
ここからは、性格の部分ですね。
とても 負けず嫌いだったとも言われる家康、この馬上で脱糞(ウンチ)した際の言葉で分かります。
この話は、「三方原の戦い」の時の話で、この戦い、徳川軍は負けているわけですが、家臣たちが目の前で次々と倒されていく光景に恐怖を感じ、漏らしながら浜松城に逃げ帰ったといいます。
その苦し紛れの言い訳に放った驚きの言葉がこちらです!
「これはクソではなく、腰につけていた非常食のミソだ」
偉大な将軍相手に失礼ですが、小学生なみのいい訳に近く可愛らしいです😄
でも、この脱糞(ウンチ)や失禁は、戦いの場では珍しいことではないそうですね。
エピソード②超倹約家だった!
徳川家康はお金持ちだったとされていますが、ケチだったといいます。
直轄領地が多く、没収した豊臣秀吉の遺産がとてつもなく多かったこということなのに、なぜなのでしょうか。
ケチといわれた理由は、こんなことからでした。
・基本、無駄は嫌いで家も広くなかった。
・衣服は滅多に新調することなく、ずっと同じ着物をきていた。
・汚れが目立たないように黄色い下着を着けていた。
・お手洗いを出た際に手をふこうとした際に紙が飛ばされてしまいますが、新しいものを準備するのではなく、飛ばされた髪を追って庭に出ていったそうです。
お金に余裕があれば、天下の将軍たるもの小綺麗にしていてほしものですが、無駄遣いをせず、あるもので生活をする。
これは、今川義元に人質とされていた名残りにも感じます。
我慢し続けた長いあいだに自然と身についたことなのかもしれませんね。。
エピソード③未亡人の熟女好きでロリコン!
家康より妻がおおい将軍は他にもいますが、家康は本妻2人、ほか側室や妾など20人もいたそうです。
わしは、熟女が好きじゃ~🤩
家康は、外見や好みで選ばす、子孫を残すことを考え出産経験者などが多かったというのが理由のようです。
さすが長く続いた江戸幕府、子孫を残す意味がここにもあるとしたら、さすが時代を生き幕府をおさめる将軍ですよね。
子供は16人いたそうですが、天下人になった以降は、10代の若い女性を好んだとか。
これもキチンと考えていますね...。
エピソード④家康は超短気!
家康はがまん強い性格だと思われているようですが、そうでもないようです。
合戦中はカッとなりやすく、馬の鞍を拳で殴りつける為、血だらけになることが多かったそうです。
これは幼少期でも分かります。
今川家の人質とされていた頃、今川家の家臣たちが集まり、家康(竹千代)に「三河のいくじなしの子倅!」と言ったことで、縁側で小便をしたといいます。
小馬鹿にされたとはいえ、幼少期に人質の身でも即座に行動するところは、血が上りやすいタイプだったのかもしれません。
徐々に、世間で思われている家康とちがってきている感じがします。
エピソード⑤健康オタク!
薬の調合を自分で行うほど、医学の知識に優れていたといいます。
自分の病も、医者の見立てに満足せず、自身で調合したと言われ、健康志向でもあり飲食には気をつかっていたそうです。
このあたり考えてみると、幼い頃より信じられるのは自分だけであり、長く自分を守ってきたのは家康本人だったからなのでしょうか。
エピソード⑦人おもいであった!
先述のように、健康を気遣う家康の主食は玄米だったそうですが、家臣が家康を気に掛け白米を出したところ、家康は言ったそうです。
百姓ばかりに苦労させ、自分が白米を食べるわけにはいかない!
優しいですね、やはり苦労人です!
エピソード⑥安倍川餅の名付け親!
安倍川餅を好み、安倍川餅と命名したのが家康はと言われています。
なぜ安倍川餅?ですよね。
安倍川の奥に金山があり、御用金山へ出向いた際、ほとりでだされたのが”金の粉”をまぶしたつきたての餅だったそうです。
鉱夫が「きん(金)なご餅でございます」と差し出したひっかけ言葉が気に入り、安倍川餅としたそうです。
その家康が食べたつきたての安倍川餅が食べられます!
店名 | 石部屋 |
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住所 | 〒420-0053 静岡市葵区弥勒2丁目5-24 |
歴史に残る偉人達、こうやって見てみると、知らない一面が見えてくるんですね。
子供の頃に歴史を面白おかしく学べたら、もっと歴史好きになれたのではないかと思ってします。
現在の大河ドラマもジャニーズメンバーやお笑い芸人など出演しているので、子供さんも楽しみながら観ることができそうですね!
徳川家康エピソードが面白い!まとめ
大河ドラマが楽しいと思うようになり、徳川家康を調べていたらり面白エピソードにたどり着きました。
・意外にも短気だったかもしれないけれど、贅沢を好まず生活していた。
・熟女好きで、正室、側室など含めて20人もいた。
・馬上で脱糞したが言い訳するほど負けず嫌いだった?
ということが分かりました。
ここまでご覧いただきありがとうございました。
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