『 やんごとなき一族 』で、深山健太の祖母を務めたのがまた記憶に新しい方もいるでしょうか。
そして、演技派女優の倍賞美津子さんの家族についてご存じの方も多いでしょう。
残念ことに、その元夫のアントニオ猪木さんが亡くなったとの報道がありましたね。
とても仲睦まじい夫婦で、離婚する数年前には予想も出来ないような素敵な姿が見られていました。
今となっては、とてもとても素敵な家族であり夫婦だったのでしょう。
そんな倍賞美津子さんの家族と長年の役柄やモデルのような素敵な倍賞美津子さんもまとめています。
倍賞美津子の家族は芸能一家で元夫はアントニオ猪木
- 生年月日:1946年11月22日 (75歳)2022年10月時点
- 出身:茨城県(疎開先)
- 学歴:松竹歌劇団に第18期生として入団/1965年
- 身長:163cm
- 血液型:B型
- 所属事務所:ロータス・ルーツ
- 姉は倍賞千恵子さん、娘は猪木寛子さん
- 元夫:アントニオ猪木さん
結婚直後、とても仲睦まじい夫婦にみえたふたりでした、アントニオ猪木さんの浮気が発覚したことで、世間がみる2人とは違った仮面夫婦だったとも言われています。
では、その前の出会いのきっかけや家族になるまでを見ていきます。
倍賞美津子はアントニオ猪木からの50円の色紙で恋に落ちた?
倍賞さんとアントニオ猪木さんの出会いのきっかけは、プロレスラーだった豊登道春さんが銀座の道のど真ん中に止めていた高級車を倍賞さんが蹴飛ばしたことから...。
なぜ蹴飛ばしたか?
倍賞さんはお腹がペコペコだったそうで、いら立っていたのか高級車を蹴飛ばしたそうです。
それにもかかわらず豊登さんは怒ることもなく、逆に食事に誘い火宅まで送ってくれたんだそうです。
なんと人の良い...。
その後、連絡を取り合うようになったのは豊登さんの方で、その後アントニオ猪木さんを紹介されたようです。
とても明るくて人を喜ばせる、そんな倍賞美津子さんに惹かれながらも互いの仕事もあり出会いから疎遠になった時期が3年が経ちます。
忘れられないアントニオ猪木さんは、アプローチされ結婚。
ブラジルの知り合いがサインを欲しがっている!などという理由付けで倍賞さんの実家を訪れ、色紙とフェルトペンを準備していた巣です。
当時、プロレスファンだった倍賞さんのお母さんは大歓迎で、結果、交際をスタートさせたそうです。
こんなに素敵な出会いも猪木さんの浮気からはじまり、倍賞美津子さん1985年に映画で共演したことがきっかけで俳優の故、萩原健一さんと不倫関係となります。
この時は、まさに仮面夫婦だったのかもしれませんね。
そして、1988年にアントニオ猪木さんと離婚しています。
その後、萩原健一さんの妻であったいしだあゆみさんと離婚を機に同棲を始めますが、1993年には破局しています。
倍賞美津子と離婚後も最後まで闘い続けたアントニオ猪木!
元プロレスラーそして元参議院議員の“燃える闘魂”アントニオ猪木さんが79歳で他界。
有名なキャッチフレーズ「燃える闘魂」、現役中も国会議員としても政府でも難航した湾岸戦争の在留日本人と全員の解放にも尽力されました。
先日の24時間テレビで姿を見たのが最後になったのでしょうか。
皆さんに少しでも元気な姿を見せるため、一言ひとことゆっくりと想いを伝えてくれましたね。
倍賞美津子の家族で娘も芸能一家でミュージカルのアニーでヒット!
倍賞美津子さんとアントニオ猪木さんの娘である、寛子(ひろこ)さんは幼い頃にミュージカル「アニー」で主人公のアニー役を演じられています。
女優の道には進まず、両親の離婚後は倍賞さんに引き取られています。
思春期の時に両親が離婚が原因なのか、倍賞さんへの反発もありボストン大学へ留学します。
倍賞美津子の娘・猪木寛子の婿はアントニオ猪木の会社の取締役!
2002年、「新日本プロレス」創立30周年記念興行に倍賞美津子さんがサプライズゲストとして登場します。
1972年1月13日、猪木が新日本プロレスリング株式会社を設立。3月6日、大田区体育館で新日本プロレスの旗揚げ戦を開催。
引用:ウィキペディア
この「新日本プロレス」は倍賞さんと猪木さんと共に立ち上げているのですね。
そして「新日本プロレス」創立30周年記念興行に、倍賞さんがサプライズゲストとして登場しています。
実はこの企画を立てたのはが寛子さんと寛子さんのご主人だったという親孝行、超サプライズですね。
寛子さんの旦那さんはプロレス界で仕事をされていたようです。
きっと、アントニオ猪木さんが病気になられてからは、一生懸命家族で頑張ってこられていたのでしょう。
倍賞美津子の家族・姉妹共演でデビュー
芸能一家が多い近代でも姉妹共演することは今でもあまり見ないですが、倍賞美津子さんの映画デビューで姉の千恵子さんと共演されています。
現在の倍賞美津子さんと比較しても同じですが、姉妹でも似ていないです...。
似ているところを見つけるのが難しいくらい。
倍賞美津子さん:色黒・ハスキー・濃いめ系
倍賞千恵子さん:色白・物静か・あっさり系
渥美清さんは「寅さん」で有名ですね。
倍賞美津子さん主演で渥美清さんと共演し、この作品で人気爆発したといえるかもしれません。
昔はミニスカート流行でしたので、倍賞美津子さんのプロポーションが生きていますね!
すごく素敵ですね。
菜々緒ポーズと変わりありませんよね?
『3年B組金八先生』シリーズは有名ですね。
このドラマで、養護教諭として生徒の気持ちに寄り添う先生役を演じました。
以降の教師もののドラマで出てくる養護教諭の基盤を作ったのが倍賞美津子さんではないでしょうか。
『3年B組金八先生』シリーズでは、同僚役➡金八先生と結婚➡その後亡くなった設定だったので遺影で登場していましたが、妻役としても頼れる妻で素敵な役柄を見事に演じていました。
この頃は、アントニオ猪木さんと新婚生活を送られていた頃ですね。
とてもアクティブな今の女優さんなら日焼けを避けたいところですが、女優業も家庭もアクティブですね。
普段から自然メイクの倍賞美津子さんは飾らなくてとてもチャーミングです。
その後、1988年にアントニオ猪木さんと離婚していますが、このお2人はその3年前に次のような素敵な写真集を出版していることに感動します。
倍賞美津子の家族・アントニオ猪木との愛を感じた1冊
ツイートの声の通り、当時もかなり手に入りにくいものだったようです.
「アントニオ猪木+倍賞美津子 manly womanly ペントハウス別冊 撮影/横須賀功光」
昭和60年第1刷発行 講談社刊
アントニオ猪木さんとの肉体美と温かいまなざしに加え、倍賞美津子さんの妖艶な姿が映されているようです。
出版は12月20日ですが、倍賞美津子さんの誕生日は11月22日(いい夫婦の日)なんですね。
今は手に入らないようです。
できるなら観てみたい!!
倍賞美津子さんとアントニオ猪木がカッコよすぎます。
こんな姿をみると、無くなったアントニオ猪木さん、とても残念です。
こんな風に思い切り人生を表現している生き方も素敵です。
とはいえ、順調に女優生活を送る中、倍賞美津子さんは50歳の時に癌が見つかっています。
抗がん剤治療ではなく、がんの全摘出という選択を再発や転移の可能性を減らしたようです。
人工肛門を付けることになったようですが、2か月後の復帰という女優魂を見せ、その決断は今の現在を語っていますね。
この頃と『金八先生の第4シリーズ』頃は数年しか違っていない為、ハッキリは分かりませんが体調の変化があったのかもしれませんね。
徐々に、母親役世代になっていますが、またその役柄が地味に素敵でハマり役!
今の若い方にとっては、このような倍賞美津子さんのイメージが強いのではないでしょうか。
2007年にはドラマ「東京タワー〜オカンとボクと、時々、オトン〜」でオカン役を演じ再注目を浴びましたね。
賠償美津子さんの事本当少ししか知らないけども映画で母を亡くした時、僕は遺骨を食べたいと思ったで本当に悲し過ぎて映画館で泣いたもんな…令和が始まる前に昭和が終わる感じを凄く感じて長生きしてくれよって思ったし。
本当に素敵な年齢の重ね方をされていますね。
これからも健康で感動を届けていただきたいです。
まとめ
演技派女優の倍賞美津子さんの家族についてまとめてみました。
元夫のアントニオ猪木さんが亡くなったとの報道で先日の姿が思い出されましたね。
仲睦まじい夫婦で、離婚する数年前には素敵な2人の姿をおさめる写真集が出版もされ、とてもとても素敵な家族であり夫婦だった。
これからは、残された家族の方々がまだまだ健康で活躍されることを祈りたいと思います。
最後までご覧いただきありがとうございました。
コメント