鈴木亮平さんといえば、最近ではどんな役柄でもこなし、名俳優の立ち位置に構えているといっても良いくらい活躍されていますね。
穏やかな顔立ちに似つかない体型やストイックさ、あらゆる分野に堪能なイメージがあり、語学力にも優れていると聞いています。
鈴木亮平さんが世界遺産マイスターでことをご存じの方も多いかもしれませんが、その世界遺産に興味を持ったきっかけやマイスターになれるほどの才能がどうやって生まれてきたのかを調べてみたので、ご紹介させていただきます。
鈴木亮平が世界遺産のマイスターを目指したキッカケは3つ!
1983年3月29日生まれで、これから益々活躍を期待する役者さんで、私自身大好きな一人です。
今や、TV、映画、舞台と幅広く活躍されていますね。
元々、海外旅行が好きだったという鈴木亮平さん。
では、鈴木亮平が世界遺産のマイスターを目指したのは何故なんでしょうか。
仕事の関係で海外へ行かれた時に世界遺産に触れる機会が多く興味が沸いてきたのかなと思いましたが違っていたようです。
①鈴木亮平はバーチャルで広がる世界旅行!
俳優業で活躍されていると、最高のタイミングで行きたい国へ!なんて難しいですよね。
その解決策として、時間が取れない中でもTV番組を録画すれば、いろんな国に行くことが出来る。
これを鈴木さんはバーチャル世界旅行と呼び、録りためた番組を見て楽しんでいたようです。
お仕事も忙しいでしょうから、合間に観れる海外や世界遺産は、何よりも至福の時間だったでしょう。
この楽しみが続く中で、自然と世界遺産に詳しくなり、その証をマイスターという目標に転換させていったようです。
②鈴木亮平と世界遺産とのめぐり逢い
世界遺産に詳しくなると、その証しが持てちたいと思うようになったそうです。
たまたま、お仕事でご一緒した、女優の藤井紗央理さんが受検されていることを知ったのがキッカケといいます。
その世界遺産検定は合格率20%と言われるくらい難関ですが、”1年で最上級のマイスターになる”という目標を立てて、2011年7月に2級、12月に1級を受検し、見事、宣言通り2011年に合格をされています。
その後も2012年7月までにマイスター合格を目指すという目標を持たれていたようですが、2011年の結婚をされていて、その後は一年に何本ものTV、映画に出演し始めていますので、チャレンジも難しかったのかもしれませんね。
その後の情報が見つかりませんでした。
世界遺産検定は4級、3級、2級、1級、マイスターがあるようで、最終難関のマイスター取得となると、俳優業が忙しい今のチャレンジはもう少し先になるのでしょうか。
なので、現在はマイスター並みの知識に至る...という感じのようです。
ですが、鈴木亮平さんのような努力家なら、きっとお仕事が落ち着いたころに、必ずや挑戦しマイスター検定合格の知らせを発信してくれると期待しています。
③鈴木亮平が世界共通のコミュニケーションに感銘!
仕事でイタリアを訪れた際に、”ピサの斜塔”について熱く語ってくれた現地スタッフとの対話に感銘を受けたそうです。
・日本の遺産を学ぶことで「日本の魅力」を改めて見直すきっかけになった!
・故郷である日本の魅力を海外の人に伝えていかないといけない!
こんなカッコいいお話をされる鈴木亮平さんですが、『1級の勉強で、インドの遺産は正直難しくて諦めました(笑)。捨てる勇気も大事!』とお話しています。
なんとも、潔さもカッコいいです!
ちなみに、実直で頭脳明晰な鈴木亮平さん、これで終わらず、世界遺産関係の連載後、
「行った気になる世界遺産」という書籍まで出版されています。
世界遺産は、世界を知る格好の素材で世界に関心を持つキッカケになるだけでなく、人生を豊かにしてくれるものとも話されています。
世界遺産というより、世界平和愛が半端ない鈴木亮平さんです!
鈴木亮平が世界遺産マイスター並みの鈴木亮平は語学も堪能!3つの理由!
元々、才能をお持ちの方なのかと思いますが、鈴木亮平さんは、一体どのように育ってきたのかが気になりますね。
①鈴木亮平が父と観ていた字幕付きの映画鑑賞!
両親共働きの一般の家庭だったようですが、ものごころ着いたときには、字幕付きの外国映画を見ていたというのですから何とも素晴らしい家庭環境ですね。
確かに、子供の時の記憶力は素晴らしいものがありますから、幼いながらも日本語以外の響きに興味が芽生え始めていたかもしれませんね。
三つ子の魂百までとも言いますが、一度覚えたモノは本当に身につくもの。
家庭環境も素晴らしく、ご両親の教育の一環だったのでしょうか?
素敵なご家族です!
②鈴木亮平にとってコミュニケーション力は学びの一歩!
初の海外旅行で経験・小学生が観た強烈な映画の世界!
生の英語に触れたのは、家族で出かけたアメリカ旅行だそうです。
小学生の時、叔父さんの単身赴任先であるロサンゼルスへ行き、それで英語へのスイッチが入ったそうですが、子供の目に映った外国は映画の世界のような光景で強烈だったと話されていますが、うまく取れないコミュニケーションを経験したことが、のちに英語を学びたいという夢をもつ一因になっていくようです。
やはり、子供には沢山の経験をさせることって大切なんですね。
③鈴木亮平にとってスキルを磨く手段が交換留学だった!
中学生2年と3年とアメリカとオーストラリアへ短期のホームステイ、高校1年でアメリカのオクラホマに1年留学した経験持つ鈴木亮平さん。
ご両親も協力的だったようで、中学生2年と3年には、お父様が見つけられたYMCAのプログラムに、速攻返事で参加されたようです。
幼少期から学ぶ環境に恵まれていたようですね。
田舎での留学先は、日本人やアジア人がいない、家に帰ったらホストファミリーとずっとしゃべるという環境で英語漬けの生活だったようです。
交換留学は行き先が自分で決められないので、それが逆に良い経験だったということなのでしょうか。
追い詰められて苦しむ期間がないと本当のスキルにならないと感じますと話されています。
その経験も今や記者会見で流暢に演説するなどの結果につながっているのでしょう。
その上、留学先で恋をしたことで、日本に戻ってからはドイツ語の猛勉強をしたというのですから、本当に多才なんですね。
これもあって、ドイツ語のスピーチで優勝経験があるとか。
このように、幼少期から英語に触れる機会や海外旅行で目の当たりにした生の英語、もちろん才能もありますが、興味が引き出す力とは本当にすばらしいのですね。
諦めるのではなく、なりたい自分にために目標を持ち、努力し進んできた鈴木亮平さんだからこそ、成し遂げた結果なのかと思います。
とても魅力的な方!ということがわかりました。
鈴木亮平が世界遺産のマイスターをめざした3つの理由!まとめ
今回は、鈴木亮平さんが世界遺産マイスター並みの知識があることと、語学力の才能と凄さはどこから生まれたのか調べてみました。
何度も言いたくなりますが、とても魅力的な方だと実感しました!
少し離れますが、この堪能な語学力と世界遺産に詳しいことが、亡くなった三浦春馬さんの後任として、世界はほしいモノにあふれてるの番組起用につながったのだと思っています。
悲しい出来事でしたが、三浦春馬さんも日本の伝統文化に触れるため、47都道府県を回り書籍化し、留学経験や語学に長けていたこと、鈴木亮平さんが後任されたのは偶然ではないような気がしています。
三浦春馬さんのご冥福をお祈りするとともに、鈴木亮平さんの今後の活躍を応援したいと思います。
最後までご覧いただき、ありがとうございました。
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