小柄ながらも重量挙げ競技に奮闘していた三宅宏実さん家族についてお話させて頂きます。
こ三宅宏実さんと言えば、父と娘の二人三脚が有名で、ご兄弟の家族や一族の噂など聞くこともありませんでしたが、皆さんはご存じでしたか?
今回、三宅宏実さんの家族の中でも私が知らなかった兄弟や母親などの家族もふくめ、三宅一族の愛あるエピソードなどを綴ってみますね!
三宅宏実に兄・偉業の父や伯父など家族!プロフィール~
とても小柄な三宅宏実さんですが、今までやってのけてきた経歴が大きいことが分かります。
三宅宏実プロフィール~
生年月日 ◆ 1985年11月18日
身 長 ◆ 146㎝
体 重 ◆ 48㎏
血 液 型 ◆ O型
所 属 ◆ いちご株式会社 ⼈財本部 ⼈財開発部
学 歴 ◆ 埼玉栄高校⇒法政大学
筑波大学大学院(人間総合科学研究科の修士課程)
出 身 地 ◆ 埼玉県
↓↓↓ 愛おしそうにハグする姿自体が愛おしい気がします。
持ちあげさせてくれて、ありがとう!!
こんなに小柄な体でどれだけの努力すれば可能なの?
こちらこそ、ありがとうって感じです!!
【DAY2】2大会連続のメダリストとなったウエイトリフティングの三宅宏実選手。銅メダルがかかった最終試技を見事に成功させ、嬉しそうにバーベルにハグ。#がんばれニッポン #ウエイトリフティング #Rio2016 pic.twitter.com/C9kmpZM3Ou
— TEAM JAPAN (@Japan_Olympic) August 7, 2016
●2002年~2016年まで、ほぼ毎年のように大会に出場し、オリンピックは5回、すべて出場していました。
三宅宏実さんの目立つ戦績!(かなりありますので、抜粋しています。)
2004年 | アテネオリンピック48kg級 | 9位 |
2006年 | 世界選手権48kg級 | 銅メダル |
2008年 | 北京オリンピック48kg級 4位 | 4位 |
2011年 | 世界選手権53kg級 | 6位 |
2012年 | ロンドンオリンピック48kg級 | 銀メダル 🥈 |
2014年 | アジア大会48kg級 | 2位 |
2015年 | 世界選手権48kg級 | 3位 |
2016年 | リオデジャネイロオリンピック48kg級 | 銅メダル 🥉 |
2017年 | レディースカップ 53kg級 | 優勝 |
2018年 | 全日本選手権大会 48kg級 | 優勝 |
小さな体で100㎏をこえる重さのハーベルを持ち上げるなんて、容姿からは想像できないパワー。
法政大学も筑波大学大学院も、学業も頑張りながら日々トレーニングしてきたのかと、とてつもない努力ですね。
三宅義行(父)プロフィール~
重量挙げ現役の頃は自衛隊体育学校に在籍し、幹部自衛官なども務める。
現役引退後は指導者として、数多くの重量挙げ選手を育成。
現在、日本ウエイトリフティング協会の会長や国際ウエイトリフティング連盟の理事などを務めている。また、三宅宏実選手のコーチとしてウエイトリフティングの指導にあたる。
昨夜歓喜の銅メダルを獲得したウエイトリフティングの三宅宏実選手。TV各局への出演前に撮影した父・三宅義行監督との一枚です。#がんばれニッポン #ウエイトリフティング #Rio2016 pic.twitter.com/sWU5nfEGjf
— TEAM JAPAN (@Japan_Olympic) August 7, 2016
1968年 | メキシコシティオリンピック | 銅メダル 🥉 |
1969年 | 世界選手権 | 優勝 |
1971年 | 世界選手権 | 優勝 |
三宅敏允(長兄)プロフィール~
生年月日 ◆ 1975年6月15日
出 身 校 ◆ 埼玉栄高校⇒法政大学(キャリアデザイン学部)
競技経験者
長男の方の情報は、これ以上出てきませんでしたが、やはり重量挙げ競技はされていたようです。
三宅敏博 (次兄)プロフィール~
生年月日 ◆ 1975年6月15日
出 身 校 ◆ 埼玉栄高校⇒日本大学⇒自衛隊体育学校
2009年~2012年までは日本女子代表監督に就任。
ロンドンオリンピックではヘッドコーチとして、三宅宏実選手の支えとなる。
2014年~東京国際大学のヘッドコーチ。
東京オリンピック代表となっている、宮本昌典選手のコーチでもあったが、残念ながら、宮本昌典選手は7位に終わっている。
東京国際大学ウエイトリフティング部
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現役中 | 全日本大会77キロ級 | 優勝 |
三宅義信(伯父)プロフィール~
出 身 校 ◆ 宮城県大河原商業高校⇒法政大学卒業⇒陸上自衛隊に入隊。
- 小松製作所顧問
- 日本トライアスロン連合副会長
- 日本オリンピアンズ協会常務理事
- 東京都ウエイトリフティング協会副会長
- 東京国際大学特命客員教授
- 東京国際大学ウエイトリフティング部監督
現在は、
2014年に現役復帰し、マスターズの大会に出場している。
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姪の三宅宏実さんも法政大学ですが、この年齢で法政卒とは、この三宅一族すごすぎです。
自衛隊というのも職種的に体力勝負の世界でもありますので、これは一族の必然的な流れなのでしょうか?
ましてや、重量挙げ現役復帰って...、計算からいうと当時75歳です、おそるべし。
メキシコシティオリンピックでの金メダルは、弟、三宅義行さんが銅メダルで一緒の表彰台に乗っています。
また、重量挙げでの金メダルは、これが初めてで、それ以降、日本では金メダル獲得がされていないという記録にもなっています。
1960年 | ローマオリンピック | 銀メダル 🥈 |
1964年 | 東京オリンピック | 金メダル 🥇 |
1968年 | メキシコシティオリンピック | 金メダル 🥇 |
1972年 | ミュンヘンオリンピック | 4位 |
三宅義徳(従兄)プロフィール~
引用:三宅宏実ウィキペディア
このように、あり得ない重量挙げ競技者が揃う一族なんですね。
ちなみにお母様は競技とは無縁だったようです。
三宅育代(母)プロフィール~
三宅宏実選手には幼いころからピアノを習う。
軟式テニスに夢中だった三宅宏実選手が中学3年の時、2000年シドニーオリンピックを見たことがきっかけで、オリンピックを目指して重量挙げを始めますが、それを心配したのは、育代さんだったそうです。
母はちょっと反対していましたね。やはり父や兄の現役時代を見てきたので、できれば女の子にはそんな辛いことをさせたくないと思っていたようです。
引用:三宅宏実選手
娘の選んだ道、母としては応戦せざるを得ないですね。
アスリート家族としてベテランですから、食事面のサポートや女性として母としてのメンタルサポートもされてきたのかと思います。
三宅宏実選手の兄が感じたプレッシャーと妹の意志!
三宅宏実選手が、重量挙げに興味を持ち、一番最初に相談したのが、長男の敏允さんだったようです。
それも家族に知れ渡っていくことになるようですが、心配したのは、母だけでなく、次男の敏博さんも同じ気持ちだったようです。
実際、ロンドンオリンピックではヘッドコーチとして支えてきたわけですし、今日に至るまでの三宅宏実選手の想いや兄としても思いが絡まりながらも妹の考えに寄り添ってきたわけです。
三宅宏実選手が重量挙げを始める頃の自宅での変化に兄は?
兄、敏允さんはこう話しています。
たまに実家に帰ると、なぜか家に女子用のバーベルが置いてあるんです。「どうしたの?」と聞くと、両親は「これ、どこかに持って行くやつだから、今はちょっと置いてあるだけ」とごまかす。また数か月して、次の機会に帰省しても、やはりバーベルが…。しかも、炭酸マグネシウム(滑り止めの粉)がついていて、使用した形跡もある。宏実に「苦労することもあるけど、大丈夫か?」と言ったら「それでも頑張る」と。それで、応援することに決めました。
引用:三宅敏博
10歳離れる三宅宏実選手とは喧嘩もしたことがなく可愛がっていたようで、自分が経験してきた、家族のメダルの重さを苦労、のしかかるプレッシャー、同じ経験はさせたくなかったんでしょう。
頑張ると決めた三宅宏実選手は、練習も友人仲間付き合いや勉学も、流されることなく時間通りに続けてきたというから、”頑張る!”の有言実行です。
こんなに偉業家族の中で育ち、プレッシャーに負けることなく、自ら選択した重量挙げ競技。
今まで腰痛などに悩まされ苦しん出来た時も父に励まされ、母にサポートされ、兄たちにもアドバイスを受け、家族一丸となり頑張ってきた三宅宏実選手に拍手を送りたいですね。
三宅宏実や兄弟や父ら家族のすべて!引退後の伯父が重量挙げ選手復帰!!まとめ
重量挙げ競技から引退宣言した、三宅宏実選手の家族があまりに凄かったこと。
父とににでしかイメージがなかった三宅宏実選手に兄が2人もいたことや競技だけでなく学歴も凄かったこと。
なるべくしてなったとも言いたいけれど、努力の結果で勝ち取ってきたサラブレッドの三宅宏実選手の経歴に触れることが出来ました。
今後は、結婚して女性として、母として、たくさんの幸せを見つけてほしいですね。
三宅さんは家族でオリンピック出場ですが、子供の頃に辛い経験をしながらも乗り越え、今では周囲を楽しませるまで楽しい人生を送り姉妹でオリンピック出場した選手の紹介もしています。
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ここまでお読みいただきありがとうございました。
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